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「労働分配率」の話 [市場と経済]

自民党の総裁選では、「成長か分配か」という議論が取り沙汰されました。分配するものが無いのに先に分配があるわけがないんで、それを無理に分配しようとするなら誰かの財産を切り分けなくちゃなりません。それ、共産主義革命ですよね。

それから「労働分配率」という話も登場しました。企業収益が伸びても、分け前は企業にとどまって労働者に分配されていない、という議論です。景気サイクル的な話をすれば、社員の賃金は硬直的で、企業収益ほど伸び縮みしませんから、企業が利益を減らせば労働分配率が上がり、増益ならば下がるというだけのことです。アベノミクス以降、労働分配率が下がっているというならば、企業収益が好調だと言っているのとあまり変わりません。

ただ、今の労働分配率はほぼ史上最低なんだそうです。それは昭和のバブル末期、あの熱狂の時代と同じレベルということです。あの時の企業収益は一種の異常値なわけですが、少なくとも今はそうではありません。企業がまっとうに努力した結果あげている収益と言っていいはずです。そして今後さらに伸びていくと考えることもごく自然でしょう。

では今後企業収益がさらに伸びて行くとすると、労働分配率はさらに下がるのでしょうか。今のままだったら、多分そうなるのでしょう。ではどうすればよいのか。私は、企業に解雇する自由を許すことだと思っています。逆のように聞こえるかもしれませんが、雇用の自由度を高めると言えば、少しは聞こえが良いでしょうか。

日本はずっと、企業に社会保障の多くを任せてきました。雇用に関しても、解雇させないことで失業を低く抑えてきました。企業が雇用の安定を保証していれば、景気が悪化してもそれが従業員に及ぶことはありません。せいぜいボーナスが減る程度でしょう。これは事業のリスクを企業が全面的に引き受けていて、労働者はリスクをとらなくて済んでいるということです。ですから景気が悪くなれば従業員にとってはありがたいけれど、その代わり調子が良くなれば、超過収益が企業のものになるのは、自由経済におけるリスクとリターンの原則からして当然でしょう。

経済が拡大する一方だった時代は、雇用を保障するコストも安かったでしょうけれど、経済が伸びるか縮むか分からない不透明な時代、リスクが大きいのですから、雇用を保障するコストは格段に高くなっています。これを続ければ、超過収益はリスクのコストを負担している企業のものになり続けます。労働分配率の低下、ってそういうことなんじゃないでしょうか。

コロナ禍でもそうでしたが、今も経済的なショックがあると、政府は「解雇しないこと」に対して補助金を出すなどして、企業に社会保障の役割を負わせ続けています。保障に忙しい日本企業は、リスクをとることがどんどんできなくなっているように見えます。企業を社会保障の責務から解放しないと、人材への投資だって思い切ってできないんじゃないでしょうか。超過収益は企業に入り続ける、それでいてその収益を必要な所へ投資するリスクがとれない、というわけです。

賃金上げてくださいなんてお願いしていないで、企業には雇用の自由を与え、雇用は安定していないのが普通だ、というように、政策の前提を変えることが、今必要な雇用改革だと思うんですけれどね。雇用は安定しているに越したことはないけれど、最初から安定を目的にしていると、成長は出来ないのでしょう。今だって雇用が安定しているのは一部の人に限られているのだから、そうではない人を中心に考える時が来ていると思うのです。非正規雇用問題などとは口で言うばかりで、ほとんど真面目に取り組んでいるようにも見えません。

ちょっと古いけれど関連記事⇒ 雇用の「安定」と「報酬」

タグ:雇用改革
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