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インフレで伸びる消費もある・進む改革もある [市場と経済]

前回の投稿では、株価についてはあまり心配していない、なんたってインフレ経済が始まったのだから、ということを書きました。物価は上昇基調にあるほうが、企業経営はしやすいという話です。

でもきっとまだ、インフレと聞くとネガティブな印象を持つ人はたくさん居るでしょう。経済関係のニュースでも、物価上昇で消費は減るだろうから、という解説をよく耳にします。同じだけの予算で買い物する場合、値段が高いほうが買える量は、当然少なくなります。ですから消費者が予算を増やさないならば、実質的には経済は成長できません。だから消費が減る、という表現になるのでしょう。

ここで敢えて疑問をさしはさみましょう。消費者は皆、上記のケースの前提条件である「同じだけの予算」で買い物をするでしょうか。メディアに出てくる話はすべからく、給料が上がらないんだから余分に出費なんかできない、というストーリーに聞こえます。でも本当にそうでしょうか。

過去1~2年の間に、消費者のマインドはかなりの程度、デフレ対応からインフレ対応にシフトしているのではないかと私は感じています。このことは大きな変化です。消費行動に直接見えやすい形で現れるものではないかもしれませんが、意識の底で、何かが変わっているはずです。

デフレの下では、たとえば店頭で商品を見て「高いな」と思ったらまずは買いません。他にもっと安い店があるだろうし、待っていれば下がることが期待できるからです。ところがインフレの下では、「高いな」と思っても、必ずしも買わないことが合理的とは言えなくなってきます。他の店ではもっと高いかもしれない、待っているともっと高くなるかもしれない、と感じるからです。これがインフレマインドということでしょう。

これまで「高い」と思って買わなかった人は、お金が足りなくて買わなかった人ばかりではありません。待っているほうが合理的だったからです。言い方を変えると「今買うと損」と感じながら買い物をしていたのです。物価が上昇基調になって消費量を減らす人は、マインドが変わって予算を増やしたくても増やせない人です。しかし、デフレ下で緊縮していたけれど、インフレが始まったおかげで買い物の予算が増える人は少なくない、と私は思います。

インフレ基調になって、名目的に経済が成長するようになると、色々な意味の構造改革もしやすくなると思います。改革するということは、多くの場合「資源の配分の変える」という行動を伴います。金額の増えないデフレ下で配分を変更しようと思うと、誰かの持ち分を削ってほかに持っていくことになります。それはとても難しい。しかし、名目値であっても金額が増えるのであれば、増やすべきところには、成長によって増えた分を配分すればよいだけです。

10年前のアベノミクスでは、デフレが止まり、株価が上がり始めるところまでは良かったものの、規制改革による経済成長とまでは行きませんでした。当時どんな改革が期待されていたのかさえも忘れてしまいましたが、今後は出来れば政府の旗振りなどに頼らなくても改革が進むよう期待したいものです。

企業の経営効率の低さに拘る弱気の虫も、時々目にします。ROEや売上利益率の低い企業は、確かに数多く存在します。デフレとは直接関連しないかもしれませんが、低金利と企業の効率の低さは無関係ではありません。

金利が低いということは、低い利益率でも生きていけるということにほかなりません。金融政策から経済が受けてきたメッセージは、「利益率なんか低くてもいいんだよ、会社が潰れないこと、雇用が保たれることが大事なんだ」というわけですから、日本企業の平均的な利益率が低いのは、ある意味合理的とも言えます。金利というものは経済全体でつながっているものですから、超低金利の下で、企業の利益率だけ高くしろと言っても、限界があるのです。

超低金利を日本は長く続け過ぎた、というのはかねてからの私の持論ですが、漸くそれも終わりに近づいている、と期待しています。

今年もブログをお読みいただき、ありがとうございました。
新年も右肩上がりの良い年になりますように。

龍の絵は、原田直次郎「騎龍観音図」から。

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物価は上がっているんだから… [市場と経済]

日本の株式市場は何となく強いようです。日本の経済指標がそんなに強いわけでもないし、世界景気の先行きも、必ずしも明るいわけではないのでしょうが、それでも株価がそれほど下がる気がしないというのが正直な感触です。その根底にあるのは、物価上昇。インフレ経済の到来です。

消費者物価指数を見ると、2021年の秋ごろから前月比プラスが定着、前年同月比で見ると、2022年の8月以降は3%を1度も下回っていません。安定的な上昇率がどこに収まるのか分かりませんが、物価の上昇基調は続くと思っています。一般的な報道を見ていると、原燃料の物価が上昇しているのに賃金が上がらない、というトーンばかり感じられますが、最近は人件費と思われる物価上昇も目に付くようになってはいませんか?

いわゆる正規労働の賃金は上がっていないのかもしれませんが、パート・アルバイトの時給はここ10年ぐらい、なんだかんだ言って上がり続けています。事務系の職種などはむしろ下がり気味ですが、元来水準の低かった外食や販売員、物流や清掃といったところが強いようです。正規労働の賃金は、雇用のシステムや年齢構成など、経済以外の要因も色々とありそうですが、たとえば初任給の統計を見ると、上昇傾向は続いています。今国を挙げて熱心に取り組んでいる働き方改革は、人手不足を深刻化させる要因ですから、今後も簡単に労働の需給が緩むことはないように思います。

為替レートも物価に効いて来ます。為替の予想をするつもりはありませんが、居心地のいい水準が、110円を中心とした辺りから、140円なのか150円なのか、明らかに居場所を変えた感があります。

私は購買力平価の図を時々眺めるんですが、2022年は超長期的にフェーズが一変した記念すべき年のように見えます。1985年に円レートは、購買力平価を大きく円高方向に離れ、日本経済に大きなインパクトを与えました。そしてそのまま日本は35年あまり、円は高い高いと言いながら、経済を運営してきました。円は高い水準を保ち、日本の物価に下落圧力を与え続けたのだと思います。

私のように株式の価値を拠り所に投資をするという発想ですと、円レートだって高すぎるならば、それを是正する方向に動いても良さそうなものですが、為替市場というのはそういうものでもないんでしょうね。物価のほうが35年かけて為替レートの指し示す水準に近付いてきた、というふうに見えます。そしてこれからは、円安が物価を引き上げる方向に導いて行くよ、とでも言いたげです。

デフレ時代の30年は、経済活動について言えば、改めて大変だったな、と思います。単純化した議論ですが、普通にビジネスしていると、売上は減るわけです。売っているものの価格が下がるのがデフレですから、同じ売り上げを得るのにより多く売らなくてはならないことになります。何とか打開しようと海外へ出れば出たで、円高ですから、投資した資産価値は減り、売上には下落プレッシャーがかかります。その一方、何もしないで円の現金を抱えていれば、財産は減らないわけです。

よく「企業は現金を抱えこんでけしからん」という政治家が居たり、「日本の個人は現預金ばかりで金融リテラシーが低い」などという金融教育家が居たりしますが、どちらも全く合理的な金融行動なのです。投資して頑張ってもデフレ下では報われない、というのが合理的な答えなのです。

物価が上がるということは、金額が増えるということです。「実質」も大事でしょうが、私たちは多くのことを、お金の額で測っています。そしてそれは「名目値」なのです。実際の経済は多くの場合、名目値で認識されているのです。企業の売上や利益も、名目値です。売上が5%伸びている時に、「インフレ率が3%だから実質売上は+2%だね。」なんて言う人はいないのです。もちろん株価も名目値です。だから株式市場も大丈夫。なんたって物価は上がっているんだから。

インフレ経済の到来は、歓迎すべきことです。経済経済というならば、物価高を悪く言うような言動は避けるべきです。物価高で苦しむ個人を援けることは、福祉政策ではあっても、経済政策などと呼ばないでほしいものです。正規雇用の賃金が上がっていないとすれば、それはまだ物価上昇が足りないということに過ぎません。常用労働の指標は、景気動向指数でも「遅行系列」に含まれます。経済に遅れて動く、という意味です。

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ようこそ、インフレ経済 [市場と経済]

日本株の上昇が巷の話題になるというのも久々です。流石に足元は熱くなりすぎているように見えますが、徒花という感じでもありません。「外国人が買っているから上がっている」などと解説されますが、外国人が買うのは別に自然現象ではなく、彼らも理由があって買っているわけです。

日本の株式市場がインフレ経済の到来を感じているのだと、私は思っています。相場っぽい表現なら「好感する」と言いますね。燃料や小麦粉や卵だけが上がっているわけではなく、最終製品の小売価格が上がり、働く人の賃金に波及する、という好循環の始まりを予想して、市場が反応しているのでしょう。

インフレは株式市場に有利だと、ここで当たり前のように述べていますが、そこがイマイチ腹落ちしていない、という人のために、復習です。インフレだからと言って株価が上がるとは限らない、という説も聞くでしょうから、それぞれ何を言っているのか整理しましょう。

株価は企業の収益を反映します。企業が利益を上げれば、株式の価値が増します。企業への出資者は、利益の分け前をもらう権利を持っているので、その権利を形にした株式の価値が増すわけです。そしてその企業収益というのは、「名目値」です。

「名目」というのは、「物価の上昇分(または下落分)を含む」という意味です。売っている商品やサービスの価格が上昇すれば、売っている数量が同じでも、売り上げが伸びます。この時仮に、すべての物の価格が同じペースで上がるならば、売り上げの成長率とコストの増加率は同じになります。するとその差である利益も、同じペースで伸びることになります。つまりインフレ経済の下では、たとえ実質的に成長しなくても、売上や利益が伸びるわけです。

現実には、全ての物の価格が同じペースで上昇することはありません。よくあるのは、燃料や原材料の価格だけが上がって、商品の価格全般に波及しないというパターン。すると売り上げが伸びないのにコストだけ増えるという企業が多く出てきます。インフレと聞いて、景気にネガティブなイメージを持つ人は、多分この状況を思い浮かべているのでしょう。また物価全般が上昇しても、変化が急激に起きることで経済が混乱する、というパターンも考えられます。

インフレだからって株価が上がるとは限らないという説は、こうした解説を伴うことになるでしょう。ただ、原燃料だけしか上がらないのであれば、「インフレ経済」とまでは言えません。原燃料の上昇に見合って商品の売値を上げることができ、従業員の賃金を引き上げることもできて、インフレの好循環が実現する。それで初めて「インフレ経済」です。

私が社会に出たころは、経済環境はまだインフレ的でした。企業の業績予想はとりあえずプラス5%から始まる、というイメージでした。日本は決して成長経済ではありませんから、昔のように簡単に成長できるとは言いませんが、過去30年のデフレ期に比べれば、楽になるはずです。

ついでに申し添えますと、インフレは企業の毎年の決算に有利なだけではなく、企業の保有する資産にもプラスに働きます。こうした好環境の到来を株式市場が歓迎しているように、私には感じられるのです。


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「うまい話は無い」という当たり前のこと [市場と経済]

このところニュースを賑わせていた、銀座の宝石店強盗事件。どうやらこれ、最近多い「闇バイト」ということのようです。闇バイトというのは、実際募集しているのを見たことはないので想像の域を出ませんが、まさか初めから「強盗するお仕事です」と言って募っているわけではなく、簡単に稼げる割のいいバイトとして募集しているのでしょう。犯罪に手を染める若者たちは、初めからそのつもりだった人もいるのかもしれませんが、あるいは闇世界の網にかかってやらされているようにも見えます。「バイト」ならば、きっときっかけはお金が欲しい、要領よく稼ぎたい、というそれだけのことだったはずです。

それに続いて、中学校の先生が殺人容疑で逮捕されるという件もありました。気になったのは、借金を負っていて、そのきっかけがFX取引であったらしいと報道されていること。借金が犯罪のきっかけになるというのは珍しくありませんが、金融的素養の無い人たちの眼には、FX取引が普通の資産運用手段として映っているのかもしれないと思うと、無関心ではいられません。きっと、借金がすごい勢いで増えることもあると知らずに踏み込んでしまうのではないでしょうか。

アルバイトして稼ぎたいとか、資産運用で収入を少しでも増やしたいとか、それはごく当たり前のことです。それ自体、身を亡ぼすような考えでも無ければ犯罪につながる発想でもありません。しかしそこに欠けているのは、「うまい話は無い」という当たり前の知恵ではないでしょうか。

うまい話がないのは何故か。それはバイトで働くにしても、資産運用や投資にしても、みな経済の一部だからです。そしてその経済は自由主義経済で、競争原理・市場原理に則って動いています。時給がほかより大幅に高いアルバイトであれば、応募者が殺到して需給が崩れ、そのうち時給は下がるでしょう。突出して収益性の高い投資案件であれば、投資家が殺到して価格が上がり、収益性は下がることになります。それが自由経済のルールです。

それにもかかわらず高い収益性を保っている「うまい話」は、それに見合うコストが隠れているわけです。犯罪を伴う闇バイトであれば、それは逮捕されるコストです。闇バイトというのは、ある意味警察に捕まるのが仕事なのですね。ただそのコストは、悪運が強ければ負担しない場合もある。ですからコストとして表面化するまでは「リスク」として存在するコストです。

FXのような投機的な案件に伴うリスクについては、ここでは改めて触れる必要もありませんね。このブログを読んでくださっている方は、高いリターンには高いリスクが伴うことをよくご存じでしょう。「うまい話」と思ったら、何故そんな高いリターンが可能なのか、よく考えなければなりません。負っているリスクが何なのか、わからないうちは投資するべきではないのです。

このところ盛んな「金融教育」は、ふたを開けてみると、少なくとも現時点では「パーソナル・ファイナンス」というのでしょうか、人生の資金計画を呼びかけるという内容に限られているようです。子育てはお金がかかりますよ、自分で資産運用しなきゃ老後は苦しいですよ、という話で終わっている感があります。NISAやDCは登場しますが、どうも順序が違うんじゃないでしょうか。

金融教育の一丁目一番地は、常に「うまい話は無い」だと思います。学齢期の子どもたちには、それだけでいいくらいです。運用の話の前に、とにかく働いて稼げるようになることが大切だ、と教えてほしいものです。経済と金融市場がどう関わって動いているのか、最も基本的な金融商品である債券や株式とはどういうものなのか、そんなことも教えずに、資産運用をしなければ大変だ、などと煽るような教育は、むしろ有害ではないでしょうか。

闇バイトも問題ですが、「資産運用」の名のもとに投資詐欺の犠牲になる若者たちも後を絶たないそうです。最近は投資に関心を持つ若者が増えて結構なことだ、などと喜んでいる場合ではありません。怪しい「投資セミナー」に若者たちを次々と送り込んでいるのは、実は昨今の金融教育だった、なんて想像するだけでも恐ろしいじゃありませんか。



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デフレ下の企業経営はたいへん [市場と経済]

日本の株式市場は今、知る人ぞ知る「低PBR」市場です。純資産の額に比べて、株価が低いということです。純資産というのは「資本」と言い換えても、大きさの面ではほぼ変わりませんから、PBRが低いということは、価値を産むべき「資本」に対する評価が低いということです。

どうして評価が低いのかと言えば、利益を十分産まないからです。資本が十分利益を産まなければ、ROEは低くなります。ROEというのは資本の大きさに対して利益の大きさが何%か、という指標ですから、「資本があまり利益を産まない」と「ROEが低い」はほぼ同義語です。ですからROEが低い企業はPBRが低くなるのです。

日本企業が十分利益を上げられないこと、ROEが低いことについては、組織が古いとか、リスクをとらないとか、人材の使い方が悪いとか、要らぬ資産を持ちすぎだとか、多くの論者がありとあらゆる説を唱えていると思います。どれも何となく正しそうです。私は今日は、敢えて日本企業のために言い訳しようと思います。だって日本企業の経営環境は厳しいんだもん、というわけ。

日本企業には売り上げの大半を海外で上げるような世界企業ももちろんありますが、多くの企業はやはり、国内で製品を売っています。ですから、日本の経済状態から大きな影響を受けます。その日本経済が長年にわたってどう推移してきたか、諸外国と比べて最も特徴的なのは、持続的な「デフレ」でしょう。デフレ状態の経済では、製品の価格を上げることはなかなか難しいはずです。同じものを同じだけ売っていると、売上が全く伸びないということになります。

これがもしインフレ経済であればどうでしょうか。例えば世間の物価水準が毎年2%ずつ上昇していく状態であれば、製品の価格を年間2%程度上げても、消費者が受け入れてくれます。それが「インフレ経済」ということです。同じものを同じだけ売り上げても、売上の金額は2%増えるのです。この時、概ねコストも2%増えると考えられるので、利益も2%増えることになります。つまり、特段の努力をしなくても、インフレ率に見合った成長がもたらされる可能性が高いわけです。

年間で2%や3%程度でも、何十年も続けば無視できない違いになります。例えばアメリカと比較してみましょう。1992年から2022年の30年間に、日本の消費者物価は9%上がりました。同じ期間にアメリカでは108.5%の上昇、つまり2倍以上になっています。特に売り上げを伸ばす努力をすることなく得られる売り上げの差が、これだけあるのです。これを平均して年率の物価上昇率で比べると、日本が0.3%、アメリカが2.5%です。年率にすると2%ちょっとの差ですが、ちりも積もれば山となります。日本の会社は、こういう不利な状況で生きて来ているのです。

ROEが低いというのも、単なる努力不足以上のものがあるかもしれません。売上は物価水準の影響を受けますけれど、バランスシート上の資産も、影響を同じように受けているのでしょうか。時価評価される資産もいくらかはありますね。ただバランスシート上の純資産に物価上昇率が影響を及ぼすまでには、かなり時間差があるような気がします。ゆっくりとしか変わらない資本を分母に、インフレとともに伸びる利益が分子に、ということであれば、やはりインフレ経済下で経営するほうが、ROEを上げるのもいくらか楽なのではないでしょうか。

そんなわけで、これから日本も本格的にインフレの時代を迎えるとするならば、企業経営にとっても株式市場にとっても喜ばしいことのはずなのです。製品価格を上げられないとか、賃金を上げられないとか、言っている場合ではありません。企業はしっかりインフレ経済の恩恵を享受して、株式市場は低PBRマーケットの汚名を返上してください。

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「リスク」というコストをだれが負担するのか。~雇用・少子化・資産倍増~ [市場と経済]

日本人は「リスクはコストだ」という事を、もう少し理解すべきだと思うんです。以前、雇用と賃金について、そんなことを書きました。正社員というのは「安定雇用」という形で失業のリスクを会社に負担してもらっているから、会社が利益を上げた時にも分け前に与れない、だから賃金が上がらないのだという話でした。

「コスト」ということは「お金がかかる」わけですから、リスクを減らす努力をすることで、お金をかけるのと同じ効果があると理解しなくちゃいけないんです。今日は少子化対策の議論を聞いていて思いました。女性が子どもを産むに際して、最もリスクを感じるのはどこなのか、それに対処すれば、得られる効果が大きいんじゃないかと。そういう風に考えると、「シングルマザーの生活保障」って、効果あるんじゃないでしょうか。

しっかりと家庭を築いていこうという明確な意思を持った夫婦であれば、多少経済的に苦しくても何とかなるでしょう。でも、一人で稼ぐ力のさしてない若い女性が子どもを産むかと迷ったとき、多分その脳裏に思い浮かぶのは、「この男ともし別れたら、その瞬間に極貧人生が始まる」という現実ではないでしょうか。そのリスク感覚、世間は理解しているでしょうか。

もちろん「男女の賃金格差」という形で理解はしているでしょう。でもそれは解決するにも時間がかかり過ぎますし、少子化対策として効果を期待するには、間接的過ぎてまどろっこしいと思うのです。もっとストレートに「シングルマザーでいるほうが、身一つでいるよりも、必ず経済的に楽である」という状況を作り出すことはできないんでしょうか。

シングルマザーを支援するというと、シングルマザーになることを奨励している、と勘違いする向きは多いでしょう。もちろんそういう部分がないとは言いませんが、ポイントはそこではありません。繰り返し言いますが、ポイントは「リスク」を取り除くことです。もしシングルマザーになったとしても大丈夫、と言う「保険」です。夫と別れるつもりがなくても、常にリスクは存在します。ですからこれは、結婚しているすべての女性にも効果のある保険となるはずです。

「リスク」というコストを社会の中で誰が負うのか、という発想で世の中を見ると、色々と見えてくることもあります。現政権が「資産所得倍増プラン」として上場株式への投資を促しているのは、個人の資産を増やそうというだけではなく、経済成長のリスクを国民自身がみんなで負担しよう、ということでもあります。経済は、誰かがリスクを負担しなければ成長しません。自分で事業を経営している人には、よく分かるはずです。国全体が貧しくて、個人にリスクをとる余裕がなかった時代は、国家がそのリスクの大半を負って成長を成し遂げました。その時代は、本当はあの資産バブルの時に終わっていたのです。

しかしその後も、日本の経済は、国家の支出と日銀によるリスク負担が大きな役割を演じ続けています。人口が減少傾向にある中で、急に国民に支出を増やせと言っても限界がありますが、せめて「リスク」というコストを、国民自身が負担すべきだというのは、私も賛同するところです。

かなり前ですが、そんなことを書いてます。⇒株主は株主でいてくれるだけで・・・

写真はベランダから見える梅。七分くらいは開いたでしょうか。

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久々の為替介入 [市場と経済]

日本の通貨当局が、久しぶりの為替介入というニュース。色々な受け止め方があるのでしょうけれど、私には一種のお芝居を見ているような感覚で、当局も市場も真面目に効果を期待しているとは、どうしても思えません。外国為替市場の規模は、既にとうの昔に、介入が太刀打ちできるサイズを遥かに超えてしまっているのではありませんでしたっけ。効果が無くとも、「日本政府は現在の円は安すぎると思っている」という意思表示が必要ということなのでしょう。

前回大規模な為替介入があった11年前は、円売り介入だったのですが、その時は円の上昇がどうにも止まらない、金利もこんなに下げているのに、もうできることは為替介入しか残っていない、という状況だったと思います。当時の記録を見ますと、ユーロ危機や東日本大震災など、金融当局として対処しようのない出来事が円高の要因だったのですね。金利は既にスイスと並び世界で最も低い水準に引き下げられていましたから、もう効果が無くとも、とにかくやらねばならぬ、ということだったわけです。それは、これ以上円高にさせてはならないという、通貨当局の強い決意の表明として、それなりに見せ場のあるお芝居だったのではないでしょうか。

今回はと言えば、本当に円安が困るというならば、なぜそこまで低金利にこだわるのか、と誰が見ても言うことは決まっています。為替について、ちょっと前にこのブログに書きましたが、為替レートは短期的にはまず、金利差を反映して動きます。より高い金利を求めてお金は動きますから、金利が上がらない円から金利が上がるドルへ流れて行くのは原則通りです。日本の当局が円レートより低金利を選んだ結果、円安になっているのですから、今度のお芝居は見ているほうもシラケてしまいます。ウケるお芝居には筋の通った脚本が必要ですからね。

お芝居がウケるかどうかはともかく、介入の決断はやはりそう軽いものではありません。過去の介入の経緯を振り返ってみると、円が高すぎると言って売り、円が安すぎると言って買っているわけです。何だか、本来投資家のあるべき姿とそっくりですね。為替レートの場合は株式と違って、何が高くて何が安いのか、評価が難しいとは思います。しかしこれも先日のブログに書いた通り、長期的には物価上昇率の差を反映するのです。それをもとに算出された「購買力平価」に対して、高いとか安いとか判断することは可能です。

国際通貨研究所のサイトを見ますと、購買力平価は今、108.71だそうです。ですから、140円台の円というのは、かなり安く見えます。それでもまだ円が下がり続けるだろう、と考えるならば、その背景にあるのは
① 今後日本の物価が世界の平均以上に上昇して、購買力平価自体が円安方向に動く。
② そもそも購買力平価なんか信用できない。
のどちらかということになるでしょう。

私には、世界よりも急激な物価上昇が日本で起きる、ということはそんなに近いうちに起きるとは思えませんが、予想は予想に過ぎません。それから購買力平価について、私自身は一つの指標として十分価値があると思っていますが、別に私が計算しているわけではありませんからね。責任は持てません。

通貨が高くても安くても、私はよい会社に投資する、ということに専念したいと思っています。どこの国の会社でも、しっかり収益を上げられる会社ならばあまり気にすることはありません。

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為替は理解が難しい、という声に応えて [市場と経済]

円安が不安だ、という論調が盛んに見られるようになりました。何年か前まではずっと円安祈願をしていたはずなのに、何という変わりよう。急激な円安のきっかけは、言うまでもなく原油価格の急騰ですが、ここまで不安に煽られてしまうのは、経済力に対する自信喪失の為せる業なのでしょうか。

原油価格はほんの2年前、コロナショックで底が抜けて、先物がマイナスの値をつけたことさえありました。それが昨年は右肩上がりに回復し、今120ドルを超えるところまで来たわけです。予想もしなかった戦争という事態に、原油市場は価格上昇という反応をして見せましたが、先は常にも増して、予想し難くなっています。足元で価格が上がるのは分からないではありませんが、大きなトレンドであるはずの化石燃料離れは、いったいどうなったのでしょうね。

為替レートを動かす要因はたくさんありまして、私ごときが簡単に説明できるようなものではありませんが、「為替は理解が難しい」という声にお応えして、円のレートがどんなふうに動くのか、私なりに整理してみようと思います。

まずごく短期的には金利でしょう。特に短期金利。アメリカで金利が引き上げられました、日本では上がりませんでした、となれば、新たに資金を預ける人はアメリカで預けようと思うでしょう。より高い利子が稼げますから。だから金利の高い通貨が強くなります。

次に考えるのは、ビジネスへの投資。投資先のある所にお金は流れます。日本は基本的にお金はあるけれど投資先が十分無い国なので、景気がよくなる時には、日本のお金が外へ出稼ぎに行きます。だから円安気味になります。景気が悪くなってくると、お金が海外の出稼ぎから帰ってきて円になりますので、その分円が買われることになります。

長期的には内外の物価が為替レートを決定します。物価の上昇率は、国によって様々ですが、マーケットはグローバルですから、均衡を保とうとする力が働くのです。「ビッグマック指数」なるものがあるのをご存知でしょうか。マクドナルドのハンバーガーですね。どこの国でもほぼ同じ品質と思われるビッグマックが同じ価格であるためには、為替がいくらであるべきか、という指数です。

ここでシミュレーションはしませんが、ちょっと考えてみると、物価が安い国の通貨は、内外の均衡を保つためには高くならなくちゃいけない、ということが分かります。同じものを買うならば安いところで買いたい、と誰でも思いますよね。ですから物価が安い国にお金が流れようとして、その国の通貨が高くなる、という市場の力です。

日本は世界でも最も物価上昇率の低い国の一つですから、当然円には高くなれ、という圧力がかかります。世界の中の日本の経済的地位は、長年にわたって落ち続けているのに、円が何となく強さを保ってきた背景には、この物価を均衡させようという力学があるのです。この物価を均衡させる為替レートを「購買力平価」と呼んだりします。

総合的な国力や国に対する信用は、もちろん為替レートに影響します。政治力のような漠然たる要素もありますが、やはり重要なのは経済力でしょう。その信用に直接的にかかわるのは、お金を持っているかどうかということ。その点は個人に対する信用と同じですね。そんなに働いて稼いでいなくても、たくさん蓄えのあるお金持ちであれば、信用は得られます。日本は世界の中ではそんな感じの国だと思います。

いつまでもお金持ちで居られれば、何も心配はありません。これまでの日本は、パッとしないながらも、お金が減る心配はあまりしなくていいと思われていたわけです。このところの円安が不安を煽っているとすれば、その辺がいよいよ心配になり出した、ということでしょうか。お金持ちだった人がお金に困り出したら、それはちょっと悲惨ですよね。

これまでの為替レートは、物価を均衡させる「購買力平価」よりも円高であることが多かったのです。だから世の中の円安祈願は、せめて物価を均衡させる程度には円安になってほしい、ということだったと思います。ところが、今の為替レートは物価を均衡させるレートよりも円安な領域に突っ込んでいるように見えます。

このことは、「日本の経済」に付いていた値段が、長い間割高だったのに、ここへきて割安になり始めた、ということを意味します。時々、日本の為替レートが30年前と同じになった、という表現を見ると思いますが、それは「30年前からずっと割高だったのに、30年以上前と同じように割安になってきた」ということです。だから心配になるのは無理も無いと思います。

ただそれを、「生活水準が30年前に戻った」とか「10年前、20年前より貧しくなっている」と言うのはちょっと違います。例えば1990年代の円高時、円は海外で多くのものを買えましたが、国内では今ほど多くのものを買えなかったわけです。今どきの百円ショップの品ぞろえには驚くばかりです。ここ20年や30年の間、GDPの成長力は落ちましたが、国内にたまったお金で財政赤字を膨らませながら、公共のインフラも、かなり立派になったと思います。生活の豊かさと、為替レートは直結しないのです。

問題は将来です。日本はきっと将来貧しくなる、という見通しが、信用の低下を招くのですから。

できるだけ簡潔に、と思っても、結構長くなりました。本当はもっとお話すべきことがあるとは思いますが、今日はこの辺で。

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戦争と株価 [市場と経済]

ウクライナへの侵攻が始まってから、世の中に流れるのは暗いニュースばかりで、マーケットも元気が出ません。こういう時は売るもんだ、という考え方もあるでしょう。ただ、少し長い目で見ると、戦争や争乱は、イコール売り、ということにはなりません。そんな時に株を買うのも不謹慎なようではありますが、とりたてて売る理由にはならない、とだけ言っておきましょう。

戦争によって経済活動はあれこれとマイナスの影響を受けます。当事国は人的にも物理的にも被害を受けますし、貿易や金融がストップすることもあるわけです。昨今はサプライチェーンがグローバル化していますから、意外なところに被害が及ぶこともあるでしょう。しかし世界はそんな時でも経済活動を続けています。私たちは毎日ものを食べたり動き回ったりして生きています。経済は止まることはありませんし、受けたダメージを修復しようと動きます。物事の良し悪しはともかく、失った以上に回復し、成長することもあります。

そして、好むと好まざるとにかかわらず、軍事費はGDPにプラスで計上されます。もちろん支出する国家財政は苦しくなりますが、国家の赤字は、橋や道路を造っても戦闘機を作っても、同じようにGDPを増やします。残念なことにというべきか、色分けは無いのです。

今あるようなGDPが広く使われるようになったのはせいぜい20世紀半ばで、それほど古くはないようですが、そもそも国の経済力を知るというニーズは、歴史的に見れば、戦争遂行能力を知る必要があったというわけです。発達の途中で、軍事費のようなコストは差し引くべきではないか、という議論は無かったわけではないようですが、元々のニーズを考えるとそうなるはずもなく、そのまま今日に至っているのです。株価は長期的には、そんなGDPに沿って動きます。戦争のようなショックを機に、活躍する企業が変わることはあるでしょうけれど。

でも株価は実際下がってますよね、というのも事実。とりあえず売り、という判断も、それはそれで正しいと思います。戦争状態で何が起こるか分かりませんし、どこにどんなダメージがあって修復されるのにどのくらい時間がかかるのか、といったことは予想が困難です。それは平常に比べて明らかにリスクの高い状態です。特に短期的な資金にとっては避けるべきリスクということになるでしょう。

ごくごくざっくりと株価というものをモデル化すれば、何らかの価額で表される価値が分子に、「割引率」が分母に来る分数の形になります。リスクは金利などと共に、その「割引率」を構成します。GDPという価値がプラスになるとしても、リスクを含む「割引率」が急速に膨らめば、株価はやはり下がります。株価が戻って来るには、急速に膨らんだリスクが再び縮むのを待つことになりますね。

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雇用逼迫するアメリカ [市場と経済]

アメリカでは、雇用がひっ迫して賃金の上昇圧力も強い、と報道されています。労働者の賃金水準に対する態度も強気なようです。そうか、アメリカはそんなに景気が良いのか、と思うのは自然なリアクションでしょう。でも雇用の逼迫というのは、仕事が増えるだけではなく、労働者が減ることによっても生じます。賃金が安いならば働かなくてもいいや、と思う人が増えれば、雇用は逼迫し、賃金の上昇圧力が高まります。そこには、長期にわたって続く米国株の上昇も、一役買っているのではないでしょうか。

米国では老後の蓄えに株式や株式投信を買うということが、日本よりは遥かに一般的に行われています。そして米国株は、ドットコムバブルの崩壊やリーマンショックを乗り越えて、それ以降は大きな下落局面もなく、右肩上がりとなっています。裏付けとなる統計などを見たわけではありませんが、たとえば30代でいくばくかのお金が貯まっていれば、株式を買うのはごく普通のことでしょう。

10年前に個人でMicrosoftやApple、Amazonなどの株式を保有していた米国人がどのくらい居たか知りませんが、そのまま持ち続けていると、ざっくりMicrosoftなら10倍、Appleで12倍、Amazonならば20倍弱です。どれか1銘柄以上100万円分持っていたら、今は1~2千万円になっているということになります。10年前既にこれらは、プロの投資家しかしらないようなものでは決してなく、誰でも知っている銘柄だったはずです。保有している個人はどこにでもいたと思います。

そんなにキラキラした成長株を持っていなくとも、何も考えずにインデックス投信を保有していた個人投資家だって、資産は3.5倍になっているのです。強気にもなるわけです。また雇用は日本と違って流動的なのが当たり前ですから、働きたくなったら探せばいいと、誰もが思っているのでしょう。そう考えると、雇用がひっ迫して賃金が上昇している状況がよく理解できます。

日本から見ていると、あれもこれも高嶺の花に見えますが、日本の株式指標である東証株価指数を同じように10年前と比較すると、約2.7倍になっています。日経平均ならば3.3倍です。アメリカの指数と大差ありません。本当の問題は、アメリカ株が上昇しているのに日本株がパッとしなかったことではなく、株式投資している個人が少なかったことではないでしょうか。

日本では損が出たときしか騒ぎになりませんが、本当はもっと豊かになれた人がたくさんいるんだ、といって騒ぐ人が居ても良さそうなものです。自分が上手くやって豊かになっている人は騒ぐ必要が無いし、チャンスをすっかり逸してしまった人は、未だに気づいていないということなのでしょうか。もし気付いていても、自分がバカでした、という話なんてきっとする気にもならないし。

さて、先日の新聞報道では、昨年は個人が日本株を10年ぶりに買い越したとありました。しかも若年層が資産形成で買っている、と。気を取り直して、これからの世代に期待しましょう。私は、株式抜きの資産形成はあり得ない、と思っています。

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