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高齢者の資産運用~外国株を買う? [投資スタイル]

私の両親は健在…というほど元気かどうかはともかく、たいへん高齢なので、お金の管理は資産運用も含めて、私が行っています。当然のことながら、私がそれらを現預金に置いておくわけも無いので、金融機関の営業から、何らかの金融商品を勧められることもあります。投信は買わないからね、と言ってありますが、最近であればアメリカ株を勧められたりはするわけです。

どこの国であっても、良い会社の株式であれば投資すればよいと思います。銘柄を選ぶに際して気にすることは、そう大きくは違いません。高齢者の資産運用であれば、将来の値上がりよりも資産価値を維持することを重視します。不確実な「将来性」にあまり依存せず配当を継続的に出せている企業を選びます。もちろん配当は収入としてありがたい、ということもありますし、経営の安定した企業を選ぶ指標にもなります。

企業の属する業界も考慮します。安定を重視するならば、事業の性格として安定した傾向にあるということは重視すべきです。いわゆるディフェンシブと呼ばれる業界ですね。生活必需品のメーカーや小売り、医療関連や、通信などの公共サービスといったところでしょうか。景気の波に大きく影響される業界や、技術革新が頻繁に起こって浮き沈みが激しいような業界は、高齢者の資産運用に向きません。

外貨資産であるということは、どういう意味があるでしょうか。通貨分散になるという考え方もあるでしょうが、少なくとも高齢者の資産運用であれば、通貨分散に積極的な意味は無いと考えます。外貨を持つことで何に備えているかと言えば、円が下がることに対して備えているわけです。円が下がった時に被る経済的不利益は、輸入品の価格が上がるであろうということですが、生活に影響が出るほどになるにはかなりの円安が続かなければならないでしょうから、少なくとも高齢者はあまり気にしなくて良いと思います。

円安の時に外貨を持っていないと「外貨で儲けそこなう」ことになりますが、円高になって「外貨で損をする」ことと比べれば、前者よりは後者を避けるべきでしょう。今後海外で暮らすことも無ければ、出かけることもそうそうは無いでしょうから、外貨建てで目減りしても困ることはありません。しかし円で減ってしまうのは困ります。かつては債券も株式も、海外のほうがはるかに高い利回りが期待できたので、通貨変動のリスクをとる価値もありましたが、今や利回りの差はかなり縮んでしまいました。

外貨を持たねばならないという気になるとすれば、それは分散というより、自国通貨に対する不安ではないでしょうか。日本人は割と悲観的になりやすいように思いますが、通貨価値というのは相対的なものです。日本の経済状況は決して褒められたものではありませんが、日本以外の多くの国はそれぞれ問題を抱えているものです。そして忘れないでほしいのは、通貨レートが基本的にインフレ率の差を反映するということです。自分の両親が存命の間、日本が海外を大幅に上回るようなインフレに見舞われる状況を、私は想像できません。為替は予想しない主義ですが、こうしたことを総合的に判断すれば、高齢者の口座で外貨を持つことは慎重であるべきでしょう。

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「労働分配率」の話 [市場と経済]

自民党の総裁選では、「成長か分配か」という議論が取り沙汰されました。分配するものが無いのに先に分配があるわけがないんで、それを無理に分配しようとするなら誰かの財産を切り分けなくちゃなりません。それ、共産主義革命ですよね。

それから「労働分配率」という話も登場しました。企業収益が伸びても、分け前は企業にとどまって労働者に分配されていない、という議論です。景気サイクル的な話をすれば、社員の賃金は硬直的で、企業収益ほど伸び縮みしませんから、企業が利益を減らせば労働分配率が上がり、増益ならば下がるというだけのことです。アベノミクス以降、労働分配率が下がっているというならば、企業収益が好調だと言っているのとあまり変わりません。

ただ、今の労働分配率はほぼ史上最低なんだそうです。それは昭和のバブル末期、あの熱狂の時代と同じレベルということです。あの時の企業収益は一種の異常値なわけですが、少なくとも今はそうではありません。企業がまっとうに努力した結果あげている収益と言っていいはずです。そして今後さらに伸びていくと考えることもごく自然でしょう。

では今後企業収益がさらに伸びて行くとすると、労働分配率はさらに下がるのでしょうか。今のままだったら、多分そうなるのでしょう。ではどうすればよいのか。私は、企業に解雇する自由を許すことだと思っています。逆のように聞こえるかもしれませんが、雇用の自由度を高めると言えば、少しは聞こえが良いでしょうか。

日本はずっと、企業に社会保障の多くを任せてきました。雇用に関しても、解雇させないことで失業を低く抑えてきました。企業が雇用の安定を保証していれば、景気が悪化してもそれが従業員に及ぶことはありません。せいぜいボーナスが減る程度でしょう。これは事業のリスクを企業が全面的に引き受けていて、労働者はリスクをとらなくて済んでいるということです。ですから景気が悪くなれば従業員にとってはありがたいけれど、その代わり調子が良くなれば、超過収益が企業のものになるのは、自由経済におけるリスクとリターンの原則からして当然でしょう。

経済が拡大する一方だった時代は、雇用を保障するコストも安かったでしょうけれど、経済が伸びるか縮むか分からない不透明な時代、リスクが大きいのですから、雇用を保障するコストは格段に高くなっています。これを続ければ、超過収益はリスクのコストを負担している企業のものになり続けます。労働分配率の低下、ってそういうことなんじゃないでしょうか。

コロナ禍でもそうでしたが、今も経済的なショックがあると、政府は「解雇しないこと」に対して補助金を出すなどして、企業に社会保障の役割を負わせ続けています。保障に忙しい日本企業は、リスクをとることがどんどんできなくなっているように見えます。企業を社会保障の責務から解放しないと、人材への投資だって思い切ってできないんじゃないでしょうか。超過収益は企業に入り続ける、それでいてその収益を必要な所へ投資するリスクがとれない、というわけです。

賃金上げてくださいなんてお願いしていないで、企業には雇用の自由を与え、雇用は安定していないのが普通だ、というように、政策の前提を変えることが、今必要な雇用改革だと思うんですけれどね。雇用は安定しているに越したことはないけれど、最初から安定を目的にしていると、成長は出来ないのでしょう。今だって雇用が安定しているのは一部の人に限られているのだから、そうではない人を中心に考える時が来ていると思うのです。非正規雇用問題などとは口で言うばかりで、ほとんど真面目に取り組んでいるようにも見えません。

ちょっと古いけれど関連記事⇒ 雇用の「安定」と「報酬」

タグ:雇用改革
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